足りないものばかり

絵がもっとうまくてスラっと漫画が描けたらもっと楽しく漫画を描いていられたんだろうな…。
こういう話を描きたいっていうのはホントに沢山あるんだけど。ネタだけならいくらでも出てくるんだけど、それを形にする苦労が毎回血反吐吐くような感じで。拙い自分に嫌気がさすし何をどうしたらすらっとネームが描けるんだ…とかネーム切るのがホントにしんどくて絵も拙いからうまく描けなくて何度も何度も描きなおしてはこうじゃねぇと思い時間がなくて諦めて…もっと上手く描けたら…もっと上手く表現出来たら…もっと知識があったら深い話を…面白い話を作れるんじゃないのか…もっともっと…と毎回思いながら描いていて。
数をこなしてくると、好きだからっていうだけで描いていられた頃よりも、違う何かに雁字搦めにされて好きよりもつらいの方が上回ってしまう気がしてる。最初のころは下手でもいいから自分の好きなものをただ描きたいって思って描いていたから、今よりずっと素直な作品だったのだろうかな。
再録を読み返しながら、そんなことをふと思う。
ありがたいことにアップした再録の方沢山読んでいただいてるみたいで。
多分これ以上の本は今後作れる気はしない。



自分の中で、この話を描けたらスティレオを最後にするって思ってる話があるんだけど。
今日はその話が仕事中ずっと頭の中で流れてて。長編だから全然描ける気がしないんだけど。
最初から最後まで話がちゃんと出来てるんだよね。でも形にするのが大変なんだよね…。
大概の話はセリフまで含めて頭の中では出来上がってるんだけど、それを出力するのが難しいから「描ける話」を描いてしまう…。だって苦しいんだもん。しんどいんだもん。それでも描き続けるのはやっぱり好きっていう熱量があるからなんだけど。
漫画は描けるから描いてるんじゃないんだよね。描けないけど描きたいものがあるから描いてるんだよね。

いつか描きたいんだなぁ。HLが無くなった後の話。僕らが旅に出る理由。
これが描けたら自分のスティレオ集大成になるだろうと思ってる。
異界の手術を受けていたステブンがHLの外でいつ死んでしまうかわからない状態のままレオ君の護衛として一緒に二人で義眼返還の手がかりを探す話。
NYからワシントン、ドイツを経てレオ君の故郷へ…そしてまたNYに戻ってきて…っていうね。
最後の最後のセリフまで決めてるの。なのに描けないの。
脳から電気信号で抽出して映像化とかできないのかな…。

レオ君の旅の目的を終えて
「もう僕は必要ない?」って寂しそうに笑うステブンに「今度は僕があなたに必要とされたい」っていうレオ君。
死ぬことを受け入れて、全部諦めようとしたのに、今更生きたいなんて思わせないでくれって泣くステブン。
映像は頭にあるんだよなぁ。
この話は誰かに読んでほしいってよりもホントに自分がただただ描きたい話。

描きたい話だから迂闊に描けないっていうのもある。
ストーリーは出来ててもその土台となる考え方とかをちゃんと根拠のあるものにしないと足場がふわっとして説得力がなくなってしまうというか…。なんで?なんで?を突き詰めていってもすべてに自分の解答を用意できているのか…とか。なんで?なんで?の途中で自分がなんでなの?てなっちゃうと先に勧めないし。そこを蔑ろにしたら重力がなくなる、というか。でも確実に今の自分にはそこを補うだけの知識量がなくて。必要なのはインプットだなぁ。
今回の話を描くにあたって、欧米の人って風呂って入るの?みたいな基本的なとこから調べたりしたんだけど。向こうの人は寝る前に風呂に入るって習慣はないようで、つくづく日本人感覚で物事考えてるなぁって思っちゃった。日本人だし、それが習慣だから当たり前なんだけど。傷の手当とかも、向こうは病院にかかるのにめちゃお金かかるから、家に応急処置できるものとか薬とかは日本より常備されてる、とか。日本人の私は軽く病院に行けと描いてしまったけれど、それはお金ない子にはかなり難しいことなのだろうかな…とか。すぐ病院にいくって選択が出てくるのは恵まれてることなんだろうね。なんてことを、後から考えて自分の認識の甘さとか知らないことの多さとかに軽く落ち込む。ほぼ日本人が読むのだからその文化の違いを描く必要はないんだけど、知っててあえてそう書くのと、知らないのとではやっぱらしさが違うんだろうなぁなんて思ったりもする。
だから最近洋画を観るようになった。

話作りの勉強も絵の描き方の勉強も全然足りないし、話を描く上でのインプットも全然足りないし、もっと真剣に取り組まなければなと思う。これは全部自分のため。