もう独りじゃないよ

忘れる前に書いておく。

最近平井堅の「瞳を閉じて」が頭をぐるぐるしてるんだけど、あと宇多田ヒカルの「桜流し
どっちも大事な人を失った後の歌だと思うんだけども。
こういうスティレオが本来は私は一番好きなんだよね。
いつの間にかハピエン専門機関みたいになってるけども…。
いやハピエン厨だけども!(どっちやねん)

失くすのがレオ君かスティーブンさんかで変わってくるとは思うけど、
私の印象では「瞳を閉じて」がレオ君を失くしたスティーブンさんで
桜流し」がスティーブンさんを失くしたレオ君。

ティーブンさんはレオ君のこと忘れるくらいならずっと痛みを抱えて生きていくと思うし、忘れていくことを怖いと思ってる。でもレオ君が好きだといってくれた自分でありたいんじゃないかなぁと思うので、自暴自棄や自堕落にはならないと思ってる。自分がいなくなったからといって、そこで終わるわけじゃない。続いていくんだって、レオ君ならきっとそういうだろうって。レオ君がいなくなっても、レオ君が生きた世界があるんだから、それを守って生きていくのかなぁって。思い出の中のレオ君が笑っているから、生きることをやめたりはしないのだと思う。ダメになるってことは、レオ君がくれた沢山のものを捨ててしまうことになるから。

一人になれば時間はとまって夜はよく眠れないし朝は毎日泣きながら起きる。情けないだろ?でも、それでいい。それがいい…。君を愛してるって実感できるから。

っていうスティーブンさんを私は推しています。


レオ君は…。うん。某スティレオ作家さんとどっちかが死んだらってお話をした時に、レオ君はスティーブンさんが先に旅立っても強く生きていけると思う、とおっしゃってて、なるほどってなった。
私もそう思う。だから、「桜流し」の「もし今の私を見れたなら どう思うでしょう あなた無しで生きてる私を」っていうのがとてもしっくりきて。スティーブンさんが守った世界が今日もまた変わらぬ朝を迎えることを、誇らしく思いながら生きていくのかなぁと。
新しい命が生まれて、幸せそうに笑う人たちがいて、それを目にするたびにスティーブンさんを思い出す。スティーブンさんの命の上にあるものの尊さを見守って生きていく。そして生きることの先にも、死んだ後の先にも、あなたがいるから怖くないんだと。地に足をつけてまっすぐ生きていきそうだなぁと思います。でもふとした瞬間に、後悔や寂しさに押しつぶされる日があるんだと思う。言えなかった沢山の言葉が胸の中に渦巻いてぶつける相手もいないままうずくまって耐えるような。

自分の生き方は見失わない。そうあなたと約束したから。君は強いから、僕がいなくなっても大丈夫だよ…なんて笑っていっていたけれど、僕は知ってる。そういう時のあなたはいつも悲しそうだった。あなたがいなくたって生きていく。でもあなたがいなかったら幸せじゃない…。だから、そばにいくまで待っていて。またいつか会える日に、僕はあなたに胸を張って生きた話をしたいから。

っていうレオ君が当社のレオ君かなと思います。


ここまで書いて思ったけども、どっちも大して変わらないような????

どっちにも言えるのは、「失くしたものを越える強さを君がくれたから」っていうフレーズと「どんなに怖くたって目をそらさないよ 全ての終わりには愛があるから」っていうフレーズかなぁと思います。一見すれば違うように見える二つの歌だけど、ここは似通ってるのかなと。自分解釈だけども。
独りだったお互いが愛し合って共に生きて、二人になった。だから例え死がふたりを分かつとも、もう独りじゃないんだと思う。いつまでも二人なんだと思う。


前に「僕らが旅に出る理由」っていう拙い文章を書いた事があったけど、それのテーマはまさにここに書いたことなので、いつか描けたらいいなーーー。10年後とかに(笑)